365日、毎日波乗りを考えて生きる!それはある種の才能。悲しいかな、私はそういうのを持ち合わせて生まれてこなかった。寄り道、道草は当たり前、迷路にはまりそうになりながらも、その都度波乗りの道へと戻った。多少の幸運と若さのなせる業だった。
50も越えれば体力も衰え気力も萎える。多少の寄り道がとんでもないことになる。永遠に波乗りの道には戻れないことになりかねない。
そんなことを知らされたWAの旅から和田浦へ戻った。相変わらず和田浦の波は良くない。サンドバーは壊れたまんま。それでも沖へ出れば何とかなる。乗り続けるには漕ぎ続けなくては始まらない。Keep Surfingの前にKeep Padollingありき、先人の教えには含蓄がある。漕ぐことの重要性を考えた場合、波の良し悪しはあまり問題にならない。良い波を捕まえるために漕ぐのであるから、良くない波の場合に無理して漕ぐのは徒労とも言える。けれど、この徒労、非生産的な遊びこそが波乗りのコアな部分である、と私は考える。
仕事前にちょこっと波乗りして会社へでかける。そういうのをクールなライフスタイルと定義する雑誌も多い。みんなそういうのをベースに考えているから海はいつでもガサガサしている。実はそういうのは貧乏臭いこと、プアーなライフスタイルだ。一日中海の上でプカプカ浮いて、たった1本でも良い波にありつければそれで幸せ。その非生産性こそ波乗りの源、根元をなすものと考える。そんな生活が私の憧れでもある。成せない業であるから憧れも強まる。なんてアホくさくて青くさい能書きを垂れるくらい、また波乗りが好きになった。時々旅をして、また和田浦に戻る。そういうことを続けたくなった。そのためには漕ぎ続けるしかない。
WAから戻った後の和田浦、オンンショアの波でのワンショット。何の変哲も無い写真。海外で大きくて良い波を乗った後、軸足は所定の場所に位置している。これがしょぼいビーチブレイクに慣れると前方へずれだしてしまう・・・・・・・・悪癖。