サーファーの間で囁かれる悪病、いわゆるサーファーズイアー。長年、しかも1年中海に入っている人に症状が出てくる厄介な病気。「これを患ってこそいっちょまえのサーファー!」そんな強がり言っている場合でもない。暖かいエリアのサーファー、たとえばハワイアンサーファーとか、何十年サーフィンしていてもこれを患う人は少ない。なぜなら、温暖、あったかい!カリフォルニア、南アフリカ等にはこの病で悩むサーファーが多い。世界的にこの病気を知らしめたのは、1970年代のサーフスター、サウスアフリカ出身のショーン トムソンだった。そりゃそうだ、南極からの冷たい風の中、波に乗っていれば絶対に逃れられない。日本でも、千葉、千葉より茨城、福島、仙台、冷たい地域に行くにしたがってその患者数は増える。自分なりの広い人間関係を眺めると、そういうのが顕著である。もちろん、湘南でも、四国でも九州でも、それに困っているサーファーは存在するのだが・・・・
人間の体は摩訶不思議、ある意味お利口さん。冷たい海水や風から体を守ろうとして、耳の穴の中に軟骨が突起してくる。この軟骨がなかなか曲者で、大きく成長すると外耳道を完全に塞いでしまう。これが、いわゆるサーファーズイアーというもの。別に悪種の腫瘍ではないから、ほっておいても害はないのだが、難聴、耳鳴り、水の抜けの悪さ、これにはほとほと閉口させられる。世の中には聞こえないほうが得策な悪口、陰口、ヒガミ、ネタミ等が溢れてはいるのだが・・・・・
我慢すること10年と少々、昨年あたりから難聴もひどくなり、思い腰をあげて「さて手術するか?」とにかく私は痛みと現金にはからきし弱い。4−5人の友人達は早々に手術を済ませ、「まだやってなかったんですか?早くやったほうがいいですよ。ぜんぜん楽だもの!」意外と我慢強い私に驚いた様子だった。実は3−4年前に「もう我慢限界、やっちゃおう!」と決心したのだが、この手術で失敗して顔面神経を損傷した知人に出会い、「そんなんなるならやんない!」と決心は揺らいだのだった。脳に近い場所の手術はリスクもつきまとう。やるなら経験豊富な医師のいる病院がいい。
私は、船橋医療センターという病院でやったのだが、ここの医師は経験豊富。なんたって私の紹介で数人のモルモットが手術を終え、みんな無事に退院しているから。数年前に友人の藤崎君がこの病院を教えてくれた。それからそうこうするうちに「サーファーズイアーは岡田に聞け!」みたいな噂が広がり、友人のヒトシ君や藤田君、他数名がここで手術を終えた。中には「え?岡田さんってまだ手術してなかったのですか?てっきり終わっていて、その経験を話してくれているのかと思いました」そんなこと言う友人もいた。私は話が上手なので、経験していなくとも経験したようなことを語ることが出来る!
さて、これからは経験談。
まずは初診、
自分の状態をありのままに医師に伝えること。
難聴がひどい。
耳鳴りがする。
水が抜けなくて困る、等。
聴力検査を行う。
確かに左に比べ右耳の聴力が落ちていることを実感する。
手術したい旨、はっきりと伝える。
通院2回目
MRIによって耳の軟骨の突起具合を他方向から探る。
この時には手術に向かって話しが進行する。
通院3回目
MRIの検査結果を見る。
外耳道の塞がり具合を確認する。
全身麻酔の手術のため、必要な検査を行う。
血液、肺機能、尿検査等、心電図。
通院4回目
検査結果の確認。
体調に問題なく手術可能を確認する。
手術、入院日の決定、確認。
ここで「なるべく早く手術したい」旨伝えること。
特に私のような優柔不断人間は、長く間が開くと「やっぱ、やーめた!」
となりかねない。
入院
術前入院が基本。私の手術日は月曜日だったために金曜日の入院を余儀なくされた。
金曜の夕刻、医師から手術の説明を受ける。この場合、付き添いが必要となる。いろいろ危険な点を告げられる。「そこまで言ったらビビルでしょう・・・・」くらい、必要に説明を受ける。「全く耳が聞こえなくなる恐れアリ、脳に障害が出る恐れアリ・・・・」こういうご時世、そういうことまで事細かに告げる必要があるらしい。しかし、外耳道の手術は、中耳,内耳に比べればはるかに簡単らしいが・・・・本人、付き添い者が承諾書のようなものにサインして終了。
土、日曜は全く暇。家に帰る事も可能。ゆっくり本を読む。DVDレコーダーで映画鑑賞、私の場合、ドラマ「24」を3巻、つまり36時間分全て見た。ジャックバウワー様様である!あるいは中山競馬場も近い。たまにはのんびりと優雅な休暇だと思って過ごすことが肝要。
手術日
いよいよ手術当日、正直、怖い。しかし、まな板の鯉状態、なるようにしかならない。運搬用ベッドに乗せられ腕に筋肉注射、この時点で意識がだいぶ飛ぶ。
後はどうなったのかさっぱりわからないうち手術終了。気がつくと病室に戻りベッドの上。付き添い(私の場合、妻)の顔がぼんやり見える。「うまく終わったみたいですよ」の声に安心してまた眠る。手術自体は2時間以内で終了するらしい。鼓膜の近くのため、鼓膜を損傷しないように注意するらしいが、それは医師の腕に任せる以外ない。鼓膜を損傷したところで、耳裏の表皮を移植することで鼓膜は再生できるので簡単なことのようだ。知らぬうちに尿道に管を通されていたのにはまいった・・・・夕刻、執刀医が来て「無事終了」告げられる。除去した軟骨を見せてもらう。「記念にください」は却下された。腕に点滴、尿道には管が通されムズムズ感が気持ち悪かった。
手術翌日
意識もハッキリしている。術後だけに痛みは残るが、十分許容範囲内の傷み。食事も十分とれる。食事の量は少なめ、日頃いかに暴飲しているかをわからされる。必要なカロリーのみの食事。ふりかけとか持っているといいかもしれない。点滴が続く。定期的に看護婦さんが熱、脈拍を検査。9時には消灯、となりのおやじの鼾が最悪、眠れない。微量の睡眠薬ももらえるが・・・・
手術翌々日
まだ点滴、お見舞い客が数人来る。あんまりこういう姿は見せたくない、のが本音。でもわざわざきてもらい元気を装う、というか耳のわずかな傷み以外はすこぶる元気。
ただ、差し入れに「柿の種」を貰ったのはまいった。痛くないといっても耳から脳にジンジンする痛みは残る。「カキノタネェ?食えるわけねぇだろ?」同室の患者さんたちに分け与えて難を逃れた。喫煙場所が外にしかないので、点滴をぶらさげ喫煙。飯以外は本当にやることがない。どうしても病院はネガティブな空気が充満しているので、それにはまらないように気をつけたい。術後の検査を受ける。耳内のガーゼを除去。これがちょっと痛い。握りコブシを作って、その中が汗ばむくらいの傷み。
退院前日
最後の点滴がとれる。ノンアルコールのせいか、体調もいいようだ。退院を明日に控え身の回りの整理をする。「やっと帰宅できる」安堵感と、「至れり尽くせりの入院生活も悪くない」の思いが交錯する。考えようでは、入院生活も5スタークラスのホテル並ではある。この頃には同室の患者さんともすっかりうちとけ、くだらない冗談で笑ったりするようになる。どういうわけか同室の患者さんは全て泌尿器を患っているおじさんたちだった。「おたくもこれなの?」股座を指差して聞かれた時は困った。「いえ、私は耳なんです・・・・・」「そうかぁ、元気そうだものねぇ。おれはここがこれでさぁ、参っちゃうよ・・・」そんな会話も、思い返せば懐かしい。そんな人と同居したせいか、ここ数日、尿の切れがかなり悪い・・・前立腺、いっちゃったか?
退院日
午前中に耳の検診を受ける。順調に回復していることを確かめて退院。同室だったみんなにしっかりと挨拶。「おめでとう」とかけられた言葉が妙に重たかった。で、会計にむかう。手術、入院費は10万円と少し、高級ホテルに泊まった価格とあんまり変わらない。ともかく無事に退院できてよかった、よかった。迎えの車がきていて現実へと連れ戻される。サーフトリップを終え、空港から自宅へ戻る時の気分に近い。生来、怠け者の自分は、NOTHING
TO DOの入院生活がすっかり板に付いたようだ。外は雨、春だっていうのにやけに寒い日だった。
手術から2ヶ月間、海は厳禁生活、これに耐えることがきつい。耳の聞こえは確かによくなったが、耳鳴りは改善されないまま。おそらく耳鳴りは鼓膜の内側、つまり脳から内耳の問題らしい。まぁ、サーフィン後、耳内の水抜けの悪さ、それから開放されるだけでも大きな収穫ではある。「軟骨はまた再生されますから十分注意してください」先生から言われたが、おいら、そんなに長く生きないから大丈夫!これから手術を考えている人に少しでも参考になっただろうか?「元気が一番!」みんながそれを再認識してくれれば幸いです。